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英語(国際言語)は話さなければだめ

 英国人はめったに、Sorry(ごめんなさい)という“音”を発しません。それは、ときとしてその“音”により重大な責任を負うことになるからです。たとえば、英国で交通事故にあったとします。軽い接触事故で、幸いにもけが人はなく、あなたにまったく過失がなかったにもかかわらず、日本人的感情から、軽い気持ちで、Sorry(すみません)と言ったとします。その時点で相手方は、事故の責任はすべてあなたが負ってくれると判断するのです。また、You have my word!という表現は、“約束したよ!”(これで契約成立だね!)というような意味をもち、書面に書かれた契約書と同じような効力さえもちます。これらの例からも英国人の“音”を大切にする姿勢が十分うかがい知れます。この表現は、日本語の“口約束なんか当てにならない”という表現とはまったく正反対の意味合いをもつもので、日本人と英国人の“話す”ということに対する姿勢の違いを表しています。

 さて、成熟した資本主義の国、英国では、国民一人一人に資本主義がしみわたり、近年英国には、“金にならなければロを開かない、口を開けば金を要求する”といった風潮まで感じられ、まさに、“音は金なり”とでも言ったらいいような文化さえ芽生えています。英国では、“話すこと”に対する思い入れが日本とはまったく異なっているのです。要するに、極端なことを言うようですが、“英語は書けても、読めてもだめ。話せなければ意味がない”のです。

 毎年、先進国首脳会議(サミット)をテレビで見て感じることは、日本代表のぎこちなさとそのぎこちなさを取り繕おうとするタイミングの悪い不自然なジェスチャーです。このことは、経済の好不調にかかわらずいつも目にするような気がします。皆さんも、おそらくテレビを見ながら、われわれの代表として、“もっと自然に、堂々と振る舞ってほしい”と願っているのではないでしょうか。……と、日本を愛するあまり苦言を呈してまいりましたが、実は、私には、日本代表の心理が手にとるようにわかるのです。日本の文化は慎み深さを徳とし、自己主張を善とはしません。そのような環境に育った日本人が、自己主張をしなければ存在すら否定される文化の中に入っていって、戸惑いを見せることはしごく当然なことなのです。しかし、翻って現実を見るとき、日本は、少なくとも対外的に、自国の国民性の部分的な修正をも余儀なくされるような、大きな転機を迎えているのです。
  自由主義社会のリーダーたちは、物質的音声言語民族です。彼らのもたらした物質文明社会に生きていく限り、物質(金銭・資本)の奪い合いに参加し、音声言語である、いまや国際語になった“英語”をうまく操れるようにならなければならないのです。自由主義社会のリーダーたちにとって、サミットの場は、戦場であり、自国の利益を主張する場なのです。表面的には、穏やかな表情を装うリーダーたちですが、彼らはそこでしのぎを削っているのです。

 日本はこれらのことから重要なことを学ぶべきです。それは、“話す英語”が彼らにとって、意志の媒介手段以上のものであるということです。彼らには、話すことは単に“音の伝達”ではなくて、大げさなことを言えば、“命のやりとり”なのです。それは、“音”が物であり、物(食べ物)が生命を維持・存続させるという唯物論(人間が物質的であるということ)からも説明できます。日本人は、“話す英語の習得”をもっと真剣に、そして深刻に受けとめなければならないのです。国際法においても、国家間の話し合い・条約締結に際し、“無言”でいることは、同意したとみなされます。つまり、“音”を発しない者は、“命”を捨てたのだから、お好きなようにどうぞ、ということなのです。

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