英会話・英語講師派遣・英語学習講座 TRILSホーム ごあいさつ TRILS 業務内容 TRILS 会社概要 お問い合わせ

音声言語(英語)と視覚言語(日本語)

 英語という言語はご存じのように英国(England)で生まれた言語です。そして、日本語はもちろん日本で生まれた言語です。英国人と日本人はどちらも島国の民族であり、国民性にも表面的にはいくつかの類似点があります。

  たとえば、日本人も英国人もあたりさわりのない天候の話を好んでします。しかし、英国人は、元来大陸にあった狩猟・遊牧民族であり、一つの場所から他の場所に自由に移動し、言葉巧みに人間関係を形成し、外交に長けた人たちなのです。彼らにとって“話す”ということは大切な生活手段であり、英語はその民族性から日本語よりも複雑な音を持ち、音によって、また抑揚によって意味を区別する音の言語、「音声言語」になったといえると思います。

  それに対して、日本人の国民性を考えるとき、二つの重要な要素があります。一つは昔から村(共同体)の中で農業を営んできた農耕民族であるということ、もう一つは四方を海に囲まれた島国民族であるということです。

  日本人は昔から「村」を単位とする共同体の中で生活を営んできました。自然災害の多い国土の中で、農耕民族である我々の先祖たちは、台風・地震その他諸々の災害に遭遇し、そのつど「村」が一丸となって難局を切り抜けてきたのです。

  そして、それを乗り越えてつかんだ収穫は、村全体で祝い、何をするにも「村」という共同体の単位で行ってきたのです。その中から共同主義とでもいうべき、「村」(社会=世間=人の目)絶対主義が生まれたのです。と同時に、「村」(共同体)の和をみだす意見や人物は徹底的に排除されてきました。

  そして、「村」の中にあっては、それぞれの村人は、黙々と一生懸命に働いたのです。

  なぜ“黙々と働いた”かと申しますと、昔から日本の諺に「口は災いのもと」とあるように、“口を開き何か言えば失言することもあり、そのために村を追放されることになれば、待っているものは死である”ということを村人たちは知っていたからです。

  要するに、ひとたび「村八分」になり、自分の村を追われた村人は、どこの村にも厄介者として受け入れてもらえなかったのです。四方を海に囲まれた島国日本にあって、「村八分」は“死の宣告”をされるのと同じことだったのです。そこから必然的に「口数は少ない、勤勉な日本人の国民性」が生まれたのです。

  ですから、日本語も、「話す」ということよりも、「読む」、「書く」に重点がおかれる「視覚言語」になったように思われます。そして、日本語の視覚言語性を確立させたのが3世紀頃から中国より伝えられた漢字ではないでしょうか。なぜなら、たとえば「大」という字に点を一つ打つことにより「犬」になり、また「太」という字にもなるという具合に、視覚により意味を区別することを可能にしたからです。

※ 【「村八分」には、本来、村の共同生活の秩序を無視したときになる ことが多かったようですが、ここでは、「村八分」を広義に解釈し、 「口数が多すぎる、不必要なことを言いすぎる」なども終局的に村の秩序を 乱す行為であると規定しています。】

 英国には、近ごろではあまりさかんではなくなりましたが、Elocution School (エロキューション・スクール) という学校があります。そこでは、英語を正しく発音し、上手に話せるように指導します。人前で上手にスピーチできるということは、英国では大きな財産であり、多くの人々の尊敬を得ることになります。

  一方日本では、ご存じのように習字の塾があり、字が上手に書けるように教えてくれます。日本では字がうまいということは大きな徳になるからです。この例からもおわかりのように、英国人と日本人はそれぞれの言語への接し方にも大きな違いがあります。

河田式理論に戻る